ぷーたろー縁側日記

永遠の15歳と10ヶ月。その日も8月9日、パグの日生まれのぷーたろー氏の悠々自適なご隠居ライフの記録です。

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いっしゅうきに。

いったん閉めちゃったブログですが、
きょうは、ぷーたろー氏が旅立ってからちょうど一年。

今日だけひさしぶりに侍従2号にもどって、
この1年感じたこと、考えたことを書いてみようかと思います。



3mon.jpg
ぷーたろー氏、3ヶ月



いまでもウチでは、ぷーたろー氏のことが話題にのぼらない日はありません。
この1ヶ月くらいはとくに、
「もうすぐ1周忌だね」
ということもあってか、
あのときこうだった、このときああだった、と、
氏の登場回数はいっそう頻繁になっておりました。



6mon.jpg
ぷーたろー氏、6ヶ月



小さい時からの写真を見直してみたり、
もう、定番になったエピソードを繰り返して話したり。


「ホントにかわいかったねー」
「よくウチにきてくれた。」

という、楽しい話です。




1year.jpg
ぷーたろー氏、1歳





さて、ここからは、


ちょっと重い話になります。




7year.jpg
ぷーたろー氏、たぶん7歳くらい




氏の旅立ちは、私たちにとって
「看取った」
という実感がありました。
最後は苦しそうだったけど、さいごまで、目をそらさずに、看取れた。
預かったいのちを、ちゃんと送り出せた。返せた。
という実感です。




8year.jpg
ぷーたろー氏、8歳





たしかに、気にかかることはあります。

「あのときしたことは、ホントに、正しかったのかな。」

「見過ごしてたことがあったんじゃないかな。」

「もっとはやく気づいて手当てしていたら、
もっともっと長生きしてくれたんじゃないかな。」

などと、
「できなかったこと」、「もしも~だったら」、なこと、を
考えだすと、いまだに心臓がバクバクしてしまいます。




10year.jpg
ぷーたろー氏、10歳





けれど、それでも、

ペット(ここでは、あえてペットといいます)と暮らすこと、
いのちをあずかること、を
完全じゃなかったかもしれないけど、
精一杯、できるかぎりのことはできたんじゃないかなと思います。




が、



人の場合は、なかなかそうもうまくいきません。




13year.jpg
ぷーたろー氏、13歳





私たちヒトは、現在、強い意志で綿密に計画を練り、
周囲の協力や理解を得られないかぎり、
医療現場で死を迎えることになります。

そこでは「病気・症状」が主役です。
医療現場では、医療従事者も、患者本人も、そしてその家族も、
病気と闘うこと、治療がうまく進むことに主に目が向きがちです。
からだをモニターし、血液の数値で状態をはかり、その数値に一喜一憂します。
一致団結して病と闘うことがよし、とされます。

「もうちょっと治療をがんばって元気になろう」

治療できがうまく行って日常生活にもどれればそれでいいでしょう。
それはたいていの場合、正しいことでしょう。




14year.jpg
ぷーたろー氏、14歳




ですが、だれしもに、最期はあります。

最期の、「残念でした」という表現があらわすように、
医療機関での別れには、敗北の色がついてまわります。

たしかに、医学的にみると、残念な結果であるかもしれません。

しかし、波瀾万丈、紆余曲折を乗り越え生き抜いてきた、
かけがえのない一人の人生のおわりに、
その言葉はふさわしいものとはどうしても思えません。

あとになって、
貴重な残された時間を治療に費やし、
こころをおきざりにしてしまったのではないか、
という後悔にも似た気持ちが湧いてくるかもしれません。

こんなこというと、残されたものたちのエゴといわれるかもしれません。

「お医者さんも、本人も闘ってるねんから。さいごまでがんばらないと。」

と、いう人もいるかもしれません。

たしかに、たしかに。そうかもしれません。




15year.jpg
ぷーたろー氏、15歳





でも


医療現場という非日常的な状況においては、
医者と患者の関係は対等にはなりにくいものです。
長らえる命、命の質。
どちらを優先するのか、決定するのはだれなのか。
誰のための治療なのか。

患者や家族にとって、
病と闘う場で価値があるとされる、数日間、数週間長く生きることと、
精一杯生きったひとの人生を、そしてその人の旅立ちを祝福するための時間を持つこととを、
冷静に選ぶことはできるでしょうか。

そのひとの生きざまを大切にした、悔いのない判断ができるようにするためには
どうすればいいのでしょう。

最後を迎える患者に、家族に寄り添うことさえできないこともあります。
そばにいることが出来るようになるのは、
治療ができなくなり、意識もなくなっている
最後の数時間である場合さえあるかもしれません。




ワタクシ侍従2号は、その時はよかれと思ったひと言で、
家に帰りたかった”じじ”の最期の退院のチャンスを延ばしてしまいました。
嘘をついてでも、ウチに帰りたかった”じじ”の
隠していたヒミツの痛みを担当医に暴露してしまったのです。

「もうちょっとよくなってから、安心してウチに帰ろう。」

そのとき、”じじ”は、
見たこともないくらい、恐ろしいカオをしてワタクシを睨みつけました。
たぶん、本人にとっては、
それが最後のチャンスだということがわかっていたんだと思います。

それまで弱音を吐かなかったじじは、
「もう、ウチに帰れないきがする」。
そんなことを口にするようになりました。
旅立ったのは、それから、数日後でした。

がんばる気力がぷっつりきれてしまったのかもしれません。

ワタクシは、このことをずーっと悔やんでいました。

あのとき、嘘をついてでも、ウチに帰してあげるんだった。



それから1年、今度は氏が旅立つ準備をしているようでした。

人と犬とを比べることは間違っているかもしれませんが、
おウチ大好きな”じじ”と、氏がどうしても重なってしまっていました。

「ウチで、家族で見送ること」

”じじ”のときのどうしようもないワタクシの後悔を、
ぷーたろー氏はみごとにもっていってくれました。

氏の旅立ちを見送ったあと、
ワタクシと”ばば”は、
ひさしぶりに、なんとなく軽やかな気分になれたのです。



うーむ。。。



タダでは逝かぬスゴいヤツ。

まいったなー。

完敗ですじゃ。






むこうでもきっと、氏は、
「はぁ~っ」
っとため息をつきながら
”じじ”の後ろをとぼとぼと歩いているはずです。

「手間のかかるのにひっかかっちゃたなー」

ってね。




DSC_8819.jpg






そんなことを、考えていた1年、かな、いや、2年ちょいでした。




氏に会いにきてくださって、ありがとう!









おっと、存在感もなにもかも、まだまだアオくて氏には遠く及びませんが、
まごいちくんも、ニューフェース”かぼちゃん”もまいにちげんきでやってます!
こっちも、よろしく!





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